- 50歳で着物暮らし
Putting my arms through Kimono
松本清張の小説に、絹の着物をぞろりと着て出かけていく男の人物像がときどき登場する。相場師のような稼業をして一時は羽振りがいいのだが、決まって放蕩と遊興に財を費消し、やがて身を持ち崩してしまう。その人物像はどうやら、作家自身の記憶のなかにある父親の姿がモデルになっているらしい。
漠然と50をすぎたら、たまに家で着物を着る暮らしがしてみたいとずっと思ってきた。先のことだからと油断しているうち、ふと気づくと50歳はもう間近に迫っている。ぼやぼやしてはいられないものだ。
10数年まえ、日本橋堀留町に江戸紅型染の工房を併設した、新潟の織元直営の店を取材させていただいたときの店主の言葉が、着物に関心をもつひとつのきっかけになった。
「スーツ1着仕立てるのとおなじ感覚で、ピンストライプの生地を選ぶように着物を誂えてもらえたら」
着物一式そろえるとなると、高価なイメージが先に立つ。贅を凝らせばそうなるのも事実、着物の奥の深さだろう。だがその店で誂える着物は店主の言葉どおり、ちょっといいスーツを専門店で1着仕立てるくらいの価格帯が中心で「なるほどな」と思ったものの、それきりになってしまった。
伝統的な日本の色や文様などにも関心をもつようになったのは、情報紙に1年間カレンダーのイラストを描く仕事をもらったことがおおきかった。8月なら深みのある藍をさす褐色に勝虫(=とんぼ)、正月なら紅色に華やかな御所車。季節にあわせ毎月の色と柄を選んだ。出来ばえはさておき愉しい作業だったが、その方面の知識がもともとあったわけではない。ただ季節の先どり感だけは意識するようにしていて、着物の色や柄を選ぶときもこんな感じかと思いながら、もし着物をよく知る人が毎月このカレンダーを見たら、まったく見当はずれの選びかたをしているのではないかと内心ひやひやもしていた。
着道楽をしようというのではない。できるあてもない。でも考えてみると50歳で着物暮らしをしてみたかった理由は、ささやかでも50をすぎたらそのくらいの余裕がある暮らしをしていたい願望のあらわれだったかもしれない。こざっぱりとした着物を着こなし町を歩く、観劇に出かける。それも悪くはないけれど、なにか特別なものとしてではなく、着物でいる日常を普段の暮らしの時間のなかに置くことが、いま贅沢なことに思える。
スーツ地を選ぶように反物を広げ、裏地をあれこれと迷い、襦袢や帯を合わせる。誂えた着物に袖を通し、衿を正す。50歳の着物暮らしを始めてみようかと思っているところだ。ただし、光り物の着流しでぞろりと町を出歩くような度量は到底持ちあわせていない。