• 森野旧薬園
    Morino medicinal herb garden

 日本で現存最古の私設植物園、森野旧薬園のことを知ったのは、京橋3丁目のLIXILギャラリー(旧名称:INAXギャラリー)で開かれた、ちいさな展覧会がきっかけだった。
 薬園を所有するのは吉野本葛の製造販売元、森野吉野葛本舗といい、奈良県東部の宇陀市大宇陀にある。その森野家が260年のあいだ門外不出としてきた全10巻からなる植物図譜『松山本草ほんぞう』が、大阪大学の研究調査によってカラー写真映像で電子データ化されたとのことで、展覧会『薬草の博物誌 森野旧薬園と江戸の植物図譜』展は同名書籍(LIXIL出版 2015)の刊行にあわせ東京では2016年3月から5月にかけて開催された。『松山本草』の複製を中心に、江戸期からの植物図譜の数々が展示された会場に、気づけば2時間以上も釘づけになっていた。

 森野家当主11代、森野通貞(1690〜1767)は通称を初代藤助、また賽郭さいかくと号し、徳川8代吉宗の享保14年(1729)に森野薬園を創始した人物だ。賽郭が残した『松山本草』の精緻な筆づかいと観察力は、同時期の植物図譜をも凌駕する完成度でありながら、永く家宝として守られてきたことでこれまであまり知られていなかったのだという。薬園を訪ねてみたくなり、暮れが近づく12月の朝、新幹線のぞみで東京を発った。
 創業から450年続く森野吉野葛本舗は、国が伝統的建造物群保存地区に選定した宇陀松山の城下町にある。京都から近鉄特急を乗り継ぎ、最寄りの榛原駅までおよそ1時間。真冬でも針葉樹が深い緑を色濃く見せる山の稜線と、宇陀川の流れを横に見ながら奈良交通のバスに揺られて、終点の宇陀路大宇陀道の駅のバス停までは20分とかからない。花ノ木橋という名の橋を渡り城下町にはいると、町の中心を通る伊勢旧街道に面した森野吉野葛本舗はすぐそこだ。薬園は店舗裏手の急峻な山に広がっている。

 立派な店構えの片隅を占める売店で入園料を払い、葛の工房だった中庭を抜けると『松山本草』の複製や鉱物標本、森野藤助賽郭の木像などが展示された資料室がある。石水亭の門から薬園にはいり、薬草木の名がさまざまに記された札を読みながら、急斜面に石を積んだだけの狭い階段をジグザグに昇る。かなりの勾配に息があがるが、薬園の上からどっしりとした瓦屋根の木造や、白壁の商家が連なる宇陀松山の町並みを一望すると、吐く息は感歎のそれに変わる。
 冬の薬園も趣きがあっていいと訪ねて行ったが、冬がさらに深まれば、葛粉づくりに適した宇陀松山の寒冷な気候はやがて雪を降らせ、白く町が閉ざされる日もあるだろう。そして春には約250種あるという薬草が薬園のあちらこちらで芽を吹きはじめ、季節ごとに代わるがわるの花が咲きみだれるのだろう。

 薬園を出て歩く松山の町は、南北に約1.5キロほどの細長い町だ。季節はずれのせいか人通りもなく、おかしな方向に観光地化されていないところがいい。瓦屋根に格子戸、銅製の雨どいの、鶴首を逆さまにしたような形をした漏斗じょうごに施された彫刻の緻密さ。間口を堂々と広げた商家が、家々ごとに異なる意匠の豪勢さを競う。
 道の両側には幅30センチほどだろうか、「前川」と呼ばれる澄んだ水の流れがある。町の中心部に川から水を引きめぐらせ、江戸時代から防火用水などに使われてきたもので、有事には扇のような形をした板で溝をせき止め消火にあたったそうだ。昼食に立ち寄った食堂の女店主が「東京から松山を目指して来たんですか」と驚きながら、アラジンストーブの温かな火の前でそう教えてくれた。