• 京都 詩仙堂
    Shisen-do Jozanji Temple

 詩仙堂だけを訪ねて京都に寄ることがしばしばある。最初に訪ねたのは20代後半のころ、まだ当時はどちらかというと観光では知る人ぞ知る存在だったように思う。
 中心街から北東にはずれた左京区一乗寺門口町の詩仙堂へは、電車だと出町柳でまちやなぎから叡山電車に乗り一乗寺駅で下車する。一乗寺という立派な寺が東京の谷中にもあるけれど、関係はよくわからない。地下鉄を乗り継いで京都駅から三条京阪で京阪電車に乗り換え、出町柳を経由すると市内の移動だけでかなりの時間がかかることがあるが、奈良方面からだと近鉄特急を京都のひと駅手前の丹波橋で降りれば、そこから京阪電車に乗り換えて出町柳は15分ほどだ。

 一乗寺駅からの一本道をすすみ白川通を渡ると、曼殊院道まんしゅいんみちから分かれた勾配の緩やかなのぼり坂になる。詩仙堂丈山じょうざん寺は禅寺だが、正しくは凹凸窠おうとつかといい、デコボコとした土地に建てられた住居の一室のこと、とパンフレットにある。最初から寺として建立されたものではなく、寛永18年(1641)に59歳でこの詩仙堂を造営した石川丈山は、家康公に仕え大阪夏の陣で功名を立てた後、徳川家をはなれて隠退し文人として生きた人物という。丈山が30余年を過ごした詩仙堂は理想の終の住処であり、現代に生きる男にとっては嫉妬と羨望の的だ。
 白川通からの緩やかな坂が、しだいに急勾配になると小有洞しょうゆうどうという名の門が現れる。門をくぐり、竹林に囲まれた石段をのぼると見えてくる主屋の建物は、嘯月楼しょうげつろうと名づけられた小楼つきで瓦葺き屋根の一部が茅葺きになっている。拝観口で靴を脱ぎ、仏間を抜け詩仙の間から書院の広間へすすんだ先に開ける庭の眺めが、いく度となくここまで足をはこばせる理由だ。白砂に流れる砂紋と皐月さつきの木を丸く刈りこんだ島々が周囲の自然を借景に取りこみ、欄間の障子窓、庭に張りだした板縁、邪魔にならない細さで立つ柱を額縁にして、屋内と外の庭が一体となる。
 山の緑が映え、空は快く晴れ。畳に座して静寂に耳を澄ますと響く、鹿ししおどしの一音。

 詩仙の間につづく読書室、至楽巣しらくそうから踏石に足をおろして庭を歩く。石段をくだると百花を配したという庭園、百花塢ひゃっかのうの広がりがあり、山の自然にとけこんだ傾斜地の段差を、風が心地よく吹き抜けていく。京都に名庭とされる庭が数あるなかで、詩仙堂がいいのはここがもとからの禅寺ではなく、静謐として禅の教えの厳しさや緊張感とは無縁の、気負いのない安らぎを人に感じさせるところだろう。
 詩仙堂の書院のパノラマは、何年かまえの京都観光のキャンペーンポスターにもなった。奥行きを巧みにとらえたいい構図で、さぞかし宣伝効果もあったのではと思うのだが、燃えたつ紅葉の盛りのころを除けば、普段に訪ねる人はおそらく以前よりすこし増えたと感じるくらいで、むしろ欧米からの外国人観光客のほうが目立つようだ。帰りは坂をくだる途中の漬物処「おゝみや児島」で、生姜をはさんだきゅうり1本をしそ巻きにして漬けた「赤味の樹」を買うのも愉しみになっている。