大島川西支川は、隅田川に並行して現在の大横川と仙台堀川を結ぶ短い川だ。大横川下流のかつての呼び名が大島川で、その西支川に対し東支川もあったが現在は木場親水公園になっている。
 そして大島川の西支川と本川とを数字の「7」に似た形で結んだ堀割は名前を黒江川といい、一方は油堀川にもつながっていた。「江東区史」には寛永6年(1629)の埋め立てによってできた川筋と記されていて、明治にはいるとこれも埋め立てられたが、地図上では年代によって堀留となり残る様子が見てとれ、いちどきにではなく、数十年をかけ次第に埋め立てられていったらしいことがわかる。

 黒江川は八幡橋があった永代通りの深川消防署永代出張所が建つあたりで、再び大島川西支川と接近し並行しながらまっすぐ越中島の方へと流れ、大島川に注いだ。当時の川筋沿いにしばらく歩くと、脇の路地を入ってすぐのところに徳寿神社というお稲荷さんがある。ここにあった堀割にどこからか流れついた神像を祀ったものといい、日本橋の鰹節のにんべんにもゆかりを持つというちいさな社は、いまは富岡八幡の飛び地境内末社とされているようだ。
 川筋だった道は、やがて大横川に突きあたる。ちいさな公園があり、春は花見の名所となっている桜並木の川岸に元木場の過去の痕跡はなにもない。折しもリヤカーを引いて通りかかった、手作り豆腐の派手な幟をはためかせた豆腐屋の鳴らすラッパの音が、大川端の超高層マンションが正面に迫りくる静寂の町に響きわたった。

 ところで昔の地図といえば、『前略おふくろ様』とちょうど同時期に制作された倉本聰作品に、昭和51年(1976)のドラマ『幻の町』がある。
 北海道の港町、小樽を訪ねた老夫婦が終戦後の引き揚げ船の記憶をたどり、樺太でかつて暮らした真岡の町の地図をつくる旅をする。主演は『前略おふくろ様』でサブの母親役の田中絹代。共演者には笠知衆や〝恐怖の海ちゃん〟桃井かおりの名前もある。
 10年がかりで老夫婦が作成してきた真岡の町の地図は、じつは引き揚げ後に転々と暮らした真岡以外の町々の様子までもが継ぎはぎに混ざり込んで、真岡の町とはまるで別の幻の町の地図になっている。旅の途中で老夫婦とかかわりあう、小樽のおなじ樺太から引き揚げて来た人たちによってそのことが明らかになるが、誰もその現実を老夫婦にじかに伝えることができない。
 深川図書館にそのシナリオがあり(倉本聰コレクション8/理論社刊)、借りてあらためてシナリオとして読んでみると、小雪の舞う港のシーンで、遠い引き揚げ船の幻を見て恍惚の笑みをうっとりとうかべる田中絹代の、おそらくテレビドラマ史に残るであろう名演技があざやかに甦ってきた。

 おふくろ様としてしか見たことのなかったサブの母に、恋文をかわすような青春の日々があったこと。痴呆症を患いはじめたらしい郷里の母を案じながら、東京に呼びよせることもできない半人前のサブのもどかしさ。分田上の立ち退きで深川が深川ではなくなってしまうことへの淋しさを感じ、自身と深川のかかわりを通じて記憶というものをたどる旅を体験したのが『前略おふくろ様』の主人公、サブだったのではないだろうか。木場の移転、高速道路の建設で変わる深川とおなじく、宅地造成などであらがう術なく消えかけた昭和50年代初めのわが町の身近な景色を、当時の視聴者は重ねあわせて共感をおぼえていたに違いない。
 江戸の昔、大川からゆらりゆらりと油堀へ入って来た舟。行く手の水面に花街の灯がぼんやりと浮かんでいる。深川もまた、めくるめく記憶の海に漂う「幻の町」なのだなと思いながら、このへんで分田上の探索は終わりにして料亭街があった仲町の裏道あたりを、今夜もそぞろ歩いてみたりする。