- 『前略おふくろ様』と深川
ZENRYAKU-OFUKUROSAMA and Fukagawa
《前略おふくろ様。分田上の立退きがついに決まりました。
それは オレたちにとっては、青天のヘキレキといった感じで。》
倉本聰作のテレビドラマ『前略おふくろ様』が放送されたのは昭和50(1975)年秋、〝おふくろ様〟の末っ子、サブこと片島三郎が板場修業をする料亭「分田上」は、木場の14号地(夢の島:現在の新木場)移転がはじまり高速道路が建設されることになった深川にある。時の経過とともにうすれゆく記憶や過去、老年にさしかかり痴呆症をわずらいはじめた母。かなり深刻なテーマをホームコメディの要素をとりいれて明るく描き、翌年にPART II が放送される人気となった。
料亭分田上は、深川のどこにあったのか。ドラマでは板場の裏手に堀割があって、そこに架かる小さな橋の上で萩原健一が演じたサブや板前の政吉(小松政夫)らの面々が、芋の皮を剥くなどの仕込みをしている。とりとめのない会話のシーン、それに浅草のやくざからいまは足を洗い堅気の世界に生きる板前頭の秀次(梅宮辰夫)を刑事の中川(名古屋章)が事情聴取に訪ね、夕暮れによどむ堀割を背に対峙する場面も印象に残る。
架空の場所であったにせよ、大女将のぎん(北林谷栄)や若女将ミツ子(丘みつ子)、鳶職南一番・渡辺組頭の〝仏の甚吉〟(加藤嘉)、娘のかすみ(坂口良子)、半妻親分(室田日出夫)と利夫(川谷拓三)、〝恐怖の海ちゃん〟(桃井かおり)ら登場人物すべてにとってこの深川という町は、物語をすすめていくうえでかけがえのない存在として描かれている。
2006年の夏、深川に転居した。地番は深川1丁目にあり、「小津安二郎誕生の地」の案内板が立つ場所からは10数メートルしか離れていない。
仕事で歩きまわることが多い日本橋方面に近く、なるべく家賃が安くて交通至便な部屋を探した成り行きで、まさか自分が『前略おふくろ様』の深川に住むことになるとは夢にも思わなかった。青山でも六本木でもない、東京1丁目の1番地の住人になったというのがそのときの感想だ。
『前略おふくろ様』の深川探索に出かけるまえに、ここでドラマが放送された時代の背景と深川の関係を整理してみる。
昭和42年
(1967)
営団地下鉄東西線の大手町 ─ 東陽町間が開通し、門前仲町駅が開業。
昭和44年
(1969)
営団地下鉄東西線が全線開通。初乗運賃は30円。
昭和47年
(1972)
萩原健一がマカロニ刑事役で出演のドラマ『太陽にほえろ!』放送。荒川線を残し東京の路上から都電がすべて消える。
昭和49年
(1974)
萩原健一主演ドラマ『傷だらけの天使』放送。木場の移転がはじまる。
昭和50年
(1975)
『前略おふくろ様』放送。首都高速道路の建設のため油堀の埋立てがはじまる。
昭和51年
(1976)
『前略おふくろ様PART II』、おなじく倉本聰作のドラマ『幻の町』放送。
昭和54年
(1979)
首都高速道路の建設がすすみ、隅田川大橋が完成。
昭和55年
(1980)
首都高速9号線が開通。
昭和57年
(1982)
新木場への移転が完了。