• ハムトースト
    Ham on "pain de mie" toast for the last supper

 人生最後の食事になにを食べたいか。あまりによくあるお題目すぎて真剣に考えたことがなかったのだが、ひとつあげるとすればハムトーストだろうかとふと思う。
 子供のころ、ボンジュールというパン屋が郷里の葉山の家の近所にできた。後年、この店は評判となり葉山トンネルの口にスペイン瓦の洒落た店を構え繁盛することになるのだが、最初の店はいまの一色小学校そばのちいさな一軒家だった。焼きたてパンの店、というのが世間で当時どれほど珍しかったのかはわからない。昭和40年代なかばのことで、新聞の折り込みかなにかで開店を知ったのだろう、散歩がてらに家族でパンを買いにいくことになった。

 買ってきた食パンは、まだ湯気が立つくらいにあたたかかった。切ると中がすこし黄色みがかって、それを見た東京育ちの父が最初に発したのは「フン、田舎のパンだな」のひと言だった。そのくせ翌週末も「いくぞ」とまた店までパンを買いにいく。あれから長年、わが家ではここの食パンをほとんど切らすことがなかったように思う。素朴な味というのが妥当なのかどうか、あのバター色に黄みがかった、父が田舎のパンと最初にわらった食パンをもう一度食べたい。
 記憶が曖昧だが、おなじころ家に「摩周」という名の青くて丸い缶入りのバターがときどきあった。白いバターで、少量生産だったのか幻のバターと聞かされていたのは、いま思えばすこし大袈裟だったのかもしれない。いずれにしても、厚切りをトーストしたあのころのボンジュールの食パンに摩周バターを塗り、ハムをのせるのが、最後に食べたいと思う食事だ。

 ここで問題はハムに移るわけだが、人生最後となればハムも上等がいい。自動車ディーラーの営業からたたきあげで最後は社長になった父は、その会社ではメーカーからのいわゆる天下り人事ではない初のディーラー社長だったらしく、業界新聞の1面に写真つきでインタビュー記事が載ったのが自慢だった。もっとも、会社のことを家で子供に話したり、自慢ばなしなどは滅多にしなかった人で、まして平社員の営業からたたきあげで、と言葉から連想するような傑物でもなかった。
 暮らし向きにゆとりがでると、父は日本橋髙島屋のダルマイヤーで切ってもらう、量り売りのハムが気に入ってよく買ってきた。休日の朝は自分でボンジュールの食パンをトースターで焼き、バターを塗ってハムトーストにしていたものだ。たまに居合わせると「お前もか」とトーストを1枚余分に焼いてくれた、そんな父も数年まえの父の日に、その年の日本人男性の平均寿命で死んだ。昭和のお手本のような父親像ではなかったけれど、父の日に平均寿命で死んだのは、父らしいと思っている。

 人生最後の食事だからといって、それが死に際だとは限らない。東京に離れて暮らし、最後に父が食べた満足な食事がなんだったのか知らないのだが、病床の父はあるとき「いなり寿司が食いたい」と母に言ったそうだ。食べさせてやれなかったことが悔やまれるから、祥月命日の帰省ついでに買ってきてほしいと頼まれて思い出したのは、生前に父が好きだった北鎌倉の駅前にある店のいなり寿司だった。髙島屋のダルマイヤーでハムをすこしばかり切ってもらい、東京駅から横須賀線を途中下車して、予約しておいた6個入りのいなり寿司を買った。