- 君よ知るや南の橋 ─ 南高橋
Minamitaka-bashi BRDG, 1932
隅田川に架かる好きな橋〝総選挙〟をしたら、おそらく当確予想の筆頭には清洲橋、永代橋の2橋いずれかがあがるとして続く3番手はどの橋になるだろう。勝鬨橋や厩橋など有力候補がしのぎを削るなか、個人的には両国橋のすっとしたフォルムが好きだ。
現在みる両国橋が桁橋に架け替えられたのは昭和7年(1932)、関東大震災での被害が比較的すくなかったため、復興事業では明治37年(1904)に改架されてあった旧橋の橋脚や橋台はそのままに、補強をするかたちで竣工した。一方で東京市は亀島川の高橋下流にあらたな橋を架けようとしていたが、復興事業にかかる予算に窮していたために、架け替え撤去した両国橋旧橋の橋桁を再利用することでコスト削減をはかり、曲弦3連トラスの中央部を移設して架けられたのが南高橋なのだという。
日本橋川から分れた亀島川の、河口に架かる橋のうえを往く人のほとんどは、この瀟洒なトラス橋が道路鉄橋としては都内に残る最も古い、明治の橋であることをおそらく知らない。知らないことのほうがむしろ自然なほど、日常風景にとけこんだ土木遺産だ。
2016年には土木学会選奨土木遺産に認定され、湊1丁目側にあたらしい案内プレートが設置されている。それによるとこの橋には鋼板をピンを打ちで連結するアイバー(eyebar)という工法が用いられていて、構造形式はプラットトラス橋だが、明治期の橋桁の技術をつたえるその特徴からピントラス橋とも呼ばれるのだそうだ。昭和7年当時の総工費は7万6千600円とある。
旧両国橋の橋桁を流用したことで、削減できたコストはどれほどのものだったのだろう。それ以前に、ただ予算的な理由だけで数キロ離れた隅田川から橋桁をわざわざはこび、切断や結合をほどこしてまで移設をするだろうか。そこには両国橋という東京にとって特別の橋、市民に愛された橋を一部分でも保存し遺そうとする、意志のはたらきもあったのではないかと思う。
昭和43年(1968)に設けられたすぐ下流の亀島川水門に遮られて、隅田川へと注ぐ川面は見えない。同時にいまは隅田川からも、亀島川河口に架かるこの橋の姿を眺めることはできなくなっている。橋の上流には外堀から京橋川を経て流れでた桜川が亀島川と合流していたが、これも昭和61年(1986)までに埋め立てられた。ポンブ場の屋上が公園になっている。
新川2丁目側に徳船稲荷神社のちいさな祠がまつられてあり、湊1丁目側のすぐ近くには正月の寒中神事で知られる鐵砲洲稲荷神社がある。
橋名板
南高橋 / みなみたかばし
所在地
中央区新川2丁目 ─ 湊1丁目
河 川
亀島川
構造形式
プラットトラス橋
架設年
昭和7年(1932)
備 考
中央区民有形文化財
土木学会選奨 土木遺産(2016)