• シャンバS ≒ 1/300
    組み立て難易度✪✪✪

築 年

昭和初年

所在地

日本橋人形町2丁目 (※現存せず)

業種・用途

バー

 人形町の交差点から洋食キラクの前を過ぎて、京樽の角を曲がるとあるあやしげな酒場の店構えにいったいどんな偏屈マスターがひそんでいるのかと、恐るおそるドアを開ける。
 店名のShumbaシャンバはスワヒリ語でライオン、『ライオンキング』の主人公の名前でもある(劇団四季では「シンバ」)。予想に反して若く気さくな店主が、このバーを開いたころ店主と同姓の松坂大輔投手が西武ライオンズで新人王を獲った。京樽が所有するこの建物の1階にまえに入居していた店の名を、ライオンにあやり木の表看板ごとそのままいただいて開店したのがこの店なのだそうだ。

 店内にはいかにも手づくりなカウンター、黒ペンキを塗った壁にポール・ニューマンの古い映画のスチル写真が飾られている。電話はない。
 4軒隣りの足袋店「伊勢利」のご主人が教えてくれた話しでは、このマンサード屋根のシャンバの建物は、関東大震災直後の伊勢利の普請からはすこし遅れて建てられた元呉服商の家で、戦後しばらく美人ママが近所で評判の「峰」というスナックが営業していた時期もあった。並びにはほかに綿わた屋(布団屋のこと)、八百屋、銀座の天一なども店を構え、暮らしから商いまですべてが町内でまかなえる人形町のことを、土地の人はシマ、、と呼びあう向きがあったそうだ。言葉は悪くなるが、いまとは違ってそれだけ閉鎖的な一面も持つ土地柄だったのかもしれない。

 マンサード屋根というのはフランスのルイ14世時代に活躍した宮廷建築家、マンサールの考案とされ、人形町や蠣殻町の界隈にもこの設計手法を取りいれた店舗や家屋がまだ数軒ではあるが残されている。腰折れ式などともいわれ、将棋の駒を立てたような形に屋根を腰折れにすることで、屋根裏の天井空間を広くする。関東大震災後の東京では区画整理と道路拡張で土地面積がせまくなったわけだが、せまくなった土地を有効活用したくても、復興当時の法律で木造3階建て以上の民家に建築許可がおりなかった。しかしこのマンサード屋根にすれば外観は3階建てでも2階から上は部屋ではなく、屋根部分とみなされたから許可がおりたということらしい。
 遠く17世紀の巴里パリの屋根の下、はたしてマンサール氏は200年後の東京に花開くこの現象を予期していただろうか。

(月刊日本橋 2003年3月号附録)