• 小川歯科醫院S ≒ 1/300
    組み立て難易度✪✪✪✪

築 年

昭和3年

所在地

日本橋蠣殻町1丁目

業種・用途

歯科医院

 蠣殻町にある昭和3年の威風堂々たる建物だ。歯科医としては廃業しているが、1階は受付、2階が診察室になっている。先代のおお先生は腕がよく、戦前には華族や芸人、有名力士の歯も治療したという。
 重厚な玄関ドアは船の甲板だった板にかんな削りで飾り彫りしたもの。玄関ホールの床はなら材の寄木細工、階段はけやきの1枚板。2階の配管を隠す腰板は額縁張りになっていて、窓ガラスはたしかイタリア製だったのではないかとのこと。

 外壁はあとからペンキで白く塗ったもので、もとは黒と白のごま塩のような色をしていたらしい。当時よく見られた、細かい石をセメントで塗り洗い出しをする左官技術の工法で仕上げられていた。地下に防空壕があり、昭和20年(1945)3月の空襲では焼けると思ったそうだが、あとすこしのところで罹災をのがれた。
 困るのは窓ガラス1枚でも割れると、もとどおりにするのに調達できるおなじ建材や部品がないことで、壊れた真鍮の錠前などは新橋の堀商店まで行き、おなじようなものを探してもらう。建物を映画撮影に使わせてもらいたいとの申し出を受けているそうだが、いまのところ断っているのは、これまで大事にしてきた調度品が破損される危惧もあってのようだ。
 古代ギリシャの円柱を模したような、角地に建つ外観デザインが西洋の石造建築をおもわせる。蠣殻町といえば水天宮だが、この小川歯科醫院もまた歴史の生き証人として貴重な町のシンボルといえる。

(月刊日本橋 2003年5月号附録)